大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(行ウ)64号 判決

原告

株式会社大久保製壜所

右代表者代表取締役

大久保保

右訴訟代理人弁護士

牛嶋勉

被告

中央労働委員会

右代表者会長

萩澤清彦

右指定代理人

山口浩一郎

茂木繁

西野幸雄

吉永和弘

被告補助参加人

大久保製壜所新労働組合

右代表者執行委員長

小林誠

右訴訟代理人弁護士

笠井治

戸谷豊

古田典子

五百蔵洋一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、補助参加によって生じたものを含め、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が中労委平成二年(不再)第三四号事件について平成五年二月三日付でした命令を取り消す。

第二事案の概要

東京都地方労働委員会は、被告補助参加人が原告を被申立人として申し立てた都労委昭和六二年不第八〇号事件について、別紙一(略)のとおりの主文の救済命令(以下「初審命令」という。)を発した。これに対する原告からの再審査申立て(中労委平成二年〈不再〉第三四号事件)を受けた被告は、同再審査申立てを棄却する旨の別紙二(略)のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発した。本件は、原告が本件命令の取消しを求めたものである。

一  前提となる事実(以下の事実は、末尾に証拠を掲げたもの以外は、いずれも当事者間に争いがないか、当事者が明らかに争わない事実である。)

1  原告は、大久保鉄蔵が創業した個人経営にかかる大久保製壜を昭和二二年に株式会社組織にし、同人の子である大久保實(以下「實社長」という。)が代表取締役に就任したものであって(昭和六二年一二月退任)、實社長の長男であり総務部長であった大久保保(以下「保総務部長」という。)が現に代表取締役であり、専務取締役大久保保夫(以下「保夫専務」という。)は實社長の弟であり、また、取締役工場長佐々木和文(以下「佐々木工場長」という。)は實社長の長女の夫であるという同族会社であって、医薬品及び飲料用ガラスびんの製造、販売等を業とし、その従業員数は、平成三年一一月一五日現在、一〇五名である。

原告の業務は、生産部門と総務・営業部門とに大別されるが、生産部門には製壜課、溶解課、検査課及び技術課等が、総務・営業部門には総務課、人事課及び販売一・二課等の課がある。

勤務時間は、午前八時三〇分始業・午後五時終業となる日勤勤務のほか、製壜課、溶解課及び検査課の生産部門では、午前七時から午後三時までの一部勤務、午後三時から午後一〇時までの二部勤務、午後一〇時から翌日の午前七時までの三部勤務とする四直三交替制がとられている。(〈証拠略〉)

2  原告の従業員は、昭和四九年二月、原告の関連会社である大学興業株式会社及び大久保運送株式会社の各従業員とともに、大久保製壜所労働組合(以下「大久保労組」という。)を結成し、その組合員数は約八〇名である。結成以降、原告と大久保労組とは、ほぼ良好な労使関係を維持してきた。(〈人証略〉)

3  これに対し、昭和五〇年一二月には、大久保労組の脱退者らが大久保製壜所検査課労働組合を結成し、同組合は、昭和五五年三月、東京東部労働組合大久保製壜所支部(以下「東部労組支部」という。)となったが、同支部の組合員数は約一一名である。被告補助参加人と東部労組支部とはいわゆる共闘関係にあり、大久保労組と対立関係にある。なお、東部労組支部結成以降、同支部と原告との間には多くの労使紛争が発生したが、東部労組支部は、昭和五一年一〇月一五日、同支部副執行委員長長崎廣(以下「長崎」という。)らに対する配置転換及び新勤務体制の実施をめぐる原告との紛争を理由に、長崎らに対して行った出勤停止・減給・班長解任の懲戒処分等が不当労働行為であるとして東京都地方労働委員会に救済を申し立て、同委員会は、昭和五九年三月二七日、救済命令を発した。

なお、原告は、これを不服として、東京地方裁判所に救済命令取消訴訟を提起したが、平成元年六月一四日右請求は棄却された。これに対し、原告は、控訴、上告したが、いずれも上訴が棄却された(平成二年二月二一日控訴審判決、同年一〇月一九日上告審判決)。

4  原告は、昭和五四年以降、静岡県富士宮市所在の管理者養成学校が実施する研修(以下「富士宮研修」という。)に従業員を派遣してきた。富士宮研修は、「一三日間合宿管理者養成基礎コース」又は「地獄の訓練」と呼称されるもので、一三日間の合宿中に管理職としてのあり方を身につけさせようとするものであり、そのなかには夜間の四〇キロメートル行進、駅前で大声で歌うなどのカリキュラムも含まれていた。原告は、昭和六二年二月ころから富士宮研修の対象者を部長、次長、課長及び課長代理といった管理職以外の係長、組長及び班長らに拡大した。これに対して、従業員の中には、研修の内容が業務に関係なく、しごき的であるとして不安や不満を抱く者が現れるようになった。

こうしたなか、原告は、同年四月一一日、工場長、生産部長、生産部次長、検査課長の連名で、検査課組長、検査係各位宛てに、「最近三号製品において重欠点によるクレームが発生しております。このため今月より組別、検査員別の欠点見逃しデータを作成しており、特に成績の悪い組の責任者、検査員については下記のとおり研修を実施しますのでお知らせします。1、組長・指導力強化のため管理者養成学校における研修へ派遣、2、検査員・事務所にて専務、工場長、担当部長による検査システム教育の実施(六時間×三日間)」という内容の文書を掲示した。

5  同年五月一四日、大久保労組の組合員であった高橋悟及び後藤清治は、原告に対し、東部労組支部執行委員長鈴木銀一郎、同支部副委員長長崎を含む従業員四一名(大久保労組の組合員二八名、東部労組支部の組合員一三名)の署名を添えた要求書を提出し、富士宮研修がしごきに等しく、早出・残業・夜勤手当の保障がなく、持病や障害のある者を行かせようとしており、しかも前記文書の掲示は懲罰の脅しで仕事をさせようとするものであるとして、富士宮研修の即時中止を求めた。これに対して、原告は、「富士宮研修について、一般職員は対象外であり、対象となるのは係長、組長及び班長の人で、病気など特別の支障がない限りは行ってもらうことになる。」、「この種の要求については組合を通じて申し入れるように。」、「研修は強制して行かせるものではない。」などと口頭で説明した。

前記署名者らは、右説明に納得することができず、また、大久保労組の執行委員である係長らは率先して富士宮研修に参加していたため、大久保労組が富士宮研修の中止要求を取り上げてくれないものと判断し、自ら団体交渉をなし得る労働組合を結成することとした。そこで、前記署名者らのうち二三名は、同月二〇日の日勤の勤務が終了する午後五時ころ、大久保労組に脱退届を提出し、直ちに新しい労働組合の結成大会を開催することとした。その際、東部労組支部の長崎及び鈴木銀一郎の両名を新しく結成する労働組合の特別執行委員として迎え入れ、同支部の協力を仰ぐこととした。

6  原告は、同月二〇日の昼休み、大久保労組組合員の何名かが大久保労組を脱退し、新しい労働組合を結成するとの動きを知ったため、保総務部長は、同日午後二時ころ、工場部門の責任者である保夫専務、佐々木工場長、取締役生産部部長久納久好(以下「久納部長」という。)、同次長工藤正吉、製壜課課長大竹庸介、製壜課課長代理芳賀芳弘(以下「芳賀課長代理」という。)、溶解課課長代理山口繁実、検査課課長代理川畑聡司(以下「川畑課長代理」という。)、技術課課長代理石川栄(以下「石川課長代理」という。)及び総務部門の総務課長川上毅、人事課課長代理柴田勝巳(以下「柴田課長代理」という。)を事務所二階の会議室に招集し、会議を開催した。なお、当時、溶解課、検査課、技術課及び人事課に課長はいなかった。

7  この会議は一〇分間程度のものであったが、原告のこの動きを知った新労働組合に加入予定の従業員は、当初の予定を急きょ繰り上げ、午後二時三〇分ころから午後三時ころまでの間に大久保労組に脱退届を提出した。他方、会議を終えた右課長代理らは、やがて一斉に職場に戻り、新しく結成される労働組合に加入を予定していた従業員に対し、同日、次のような言動をした。同従業員らは、いずれも前記同月一四日付要求書に署名した者であった。(〈証拠略〉)

(一) 芳賀課長代理は、午後二時三〇分ころ、製壜課で一部勤務中の阿部第に対し、「新しい組合に入るのか。」と尋ねたところ、同人から返事がなかったので、「欠勤・遅刻をして組に迷惑をかけないように。」と述べた。

(二) 川畑課長代理は、午後三時前、検査課機動班で一部勤務中の佐藤千緒美に対し、「新しい労働組合の結成大会に行くのか。」と尋ねたところ、同人が「行こうと思っている。」と答えたため、「千緒美君、よく考えて行動しろよ。」と述べた。

なお、川畑課長代理は、昭和五二年二月から大久保労組の副書記長、書記長を、昭和五九年二月には委員長を歴任し、昭和六〇年一二月、課長代理に昇格したため、大久保労組の組合員資格を喪失した。

(三) 川畑課長代理は、午後三時ころ、一部勤務を終えた検査課組長中村進に対し、「新しい組合の大会に出席するんですか。」と尋ねたところ、「参加する。」という答であったので、「よく考えてくれないかなぁ。」と述べた。

(四) 販売課課長代理北岸益雄(当時、販売課に課長はいなかった。)(以下「北岸課長代理」という。)は、午後三時過ぎ、得意先から戻って、新しい労働組合結成の動きがあることを聞き、営業業務課で日勤勤務中の小林良巳を会社近くの喫茶店に呼び、「新しい労働組合が結成されるようだけれども、良巳君も参加するのか。」と尋ね、「大久保労組の中でやればいい。」、「お前らだけでやればいい。」と述べた。

なお、北岸課長代理は、大久保労組の発起人三名のうちの一名であり、大久保労組結成の昭和四九年から昭和五一年まで書記長をしていた。

(五) 久納部長は、午後三時二〇分ころ、製壜課班長で二部勤務の小林誠に対し、「何か新しい組合ができるらしいけれども知っているか。」と尋ねた。

(六) 久納部長は、午後四時ころ、製壜課二部勤務の金子義春に対し、「これは噂だけど、組合ができるらしいが、できたらどうするのか。」と尋ねたところ、同人は「入りますよ。」と答えた。

(七) 石川課長代理は、午後四時三〇分過ぎ、技術課で日勤勤務中の佐々木広章に対し、勤務態度を注意するとともに、「お姉さんが心配しているぞ。」と述べた。

なお、石川課長代理は、川畑課長代理が昭和五九年二月に大久保労組の委員長になる前の七、八期にわたり、大久保労組の委員長を務めた。

(八) 柴田課長代理は、午後五時ころ、工作課の小山廣次が一部勤務を終了して事務所前を通りかかったところを呼び止め、「今日、何か新しい組合の結成大会があるということを聞いたのだけれども、行くのか、」と尋ね、同人がはっきり回答しなかったところ、「何か相談ごとがあったら、いつでも言ってこいよ。」と述べた。

(九) 川畑課長代理は、午後五時過ぎ、検査課組長で二部勤務中の秋元源造に対し、検査課休憩室において、新しい労働組合の結成大会に行くのかどうか聞いたところ、同人が「大会の方には行こうと思っている。」と答えたので、「秋もっちゃん、よく考えて行動してくんないかなぁ。」と述べた。

8  同日午後五時過ぎから結成大会が開かれ、執行委員長に篠田利一(以下「篠田」という。)が、執行副委員長に金子義春、小林誠、小林則雄、高橋悟が、書記長に後藤清治が、執行委員に鈴木延春、佐藤千緒美、小林良巳が、特別執行委員に長崎らの委員がそれぞれ選任されるなどした。ここに被告補助参加人が結成された。

翌二一日、被告補助参加人は、原告に対し、役員名簿を添えた結成通知書及び同月二〇日に管理職らが新しく結成される労働組合に加入を予定していた従業員に対してなした言動が不当労働行為に当たるとの抗議文を提出するとともに、右不当労働行為を内容とするいわゆる「会社の不当労働行為」問題及び富士宮研修問題に関して同月二二日に団体交渉を開催するよう申し入れた。

9  また、東京東部労働組合も、同月二二日、原告に対し、「一九八七年五月二〇日、大久保製壜所新労組が結成された。わが東部労組支部の二名は、特別執行委員に選ばれた。この新労組結成に対し、会社は、同日午後二時三〇分から一斉に、業務上の多数の職制を動員し、各休憩室等で新労組に参加予定の労働者に対し、露骨な新労組結成への妨害、不当労働行為をしてきた。このとき、各職制がわが東部労組に対する許しがたい誹謗中傷を行った。貴会社とわが東部労組支部は、不幸なことに争議状態が一二年間続いている。東部労組支部は、この間、話し合って、争議を解決しようと申し入れたが、会社はこれを拒否してきた。再び、五月二〇日午後二時三〇分より行われた会社のわが東部労組中傷及び東部労組への誹謗中傷が続くのであれば、我々は、断固としてこれを受けて立たざるを得ない。直ちに新たな誹謗中傷及び東部労組への敵対行為を中止、撤回及び謝罪を要求する。」旨の抗議文を提出した。

そして、東部労組支部は、同月二三日には、大久保労組に対し、「一九八七年五月二〇日、新労組が結成された。この結成大会を察知した会社は、同日午後二時三〇分より、業務中の職制を大量に動員して一斉に新労組結成大会への妨害、破壊活動を行った。貴労組伊藤執行委員他数名は、こともあろうに会社側職制と同席し、会社とまったく同じ発言を行った。我々は、貴労組に対し、組合結成以来、一組だ二組だと言っているのではなく、団結して一緒に会社に対し、交渉し、闘い、少しでも大久保で働く労働者の生活を良くしようではないかと何回も申し入れました。にもかかわらず、今回の伊藤執行委員をはじめとする貴労組執行委員会の行動は、労働組合同士で協力するのではなく、会社と協力し、会社と一体となり、我々東部労組員への誹謗中傷を繰り返し、会社の東部労組つぶし、不当労働行為に加担したのです。これを看過することは到底できません。直ちに我々への誹謗中傷を中止撤回すること。」との要求書を提出した。(〈証拠略〉)

10  原告と被告補助参加人とは、同月二六日、同年六月二日、同月一六日、同年七月三日、同月二八日及び同年八月六日、〈1〉被告補助参加人が同年五月二一日に要求した「会社の不当労働行為」問題及び富士宮研修問題、〈2〉原告が同月二六日に提案した団体交渉ルール問題等について、合計六回の団体交渉を行った。

11(一)  同年六月五日午前六時三〇分ころ、前日から不調の製壜課の三号機が故障したが、三部勤務で三号機担当の製壜課班長沼沢正広(以下「沼沢班長」という。)は、入浴、着替えのため二階ロッカー室に上がって不在であったため、二号機を担当していた小林則雄(被告補助参加人執行副委員長)は、三号機担当助手の求めに応じて右三号機の修理を手伝った。修理がほぼ終わったころ、沼沢班長が上半身裸でロッカー室から降りてきたので、小林則雄は、沼沢班長に対し、「何やっていたんだ。」と抗議したところ、沼沢班長は、いきなり血相を変え小林則雄の胸ぐらをつかんできた。小林則雄は、殴られると思い、とっさに沼沢班長に抱きついたが、沼沢班長は、小林則雄の腕を振りほどき、同人の顔面をこぶしで殴った。両名はもみあいとなったが、その場は第三者が止めに入ったために収まった。これにより小林則雄は、眼部に打撲を受けるとともに、眼鏡が飛んで破損した。沼沢班長は、同日の三部勤務の始業直前、小林則雄に右眼鏡の修理代の補償を申し出て支払った。

(二)  翌六日、被告補助参加人は、結成当日における「会社の不当労働行為」問題及び右沼沢班長の暴力行為に抗議してストライキを行った。また、被告補助参加人は、原告に対し、「会社の不当労働行為」問題について謝罪すること及び今後被告補助参加人つぶしを行わないことを約束すること、沼沢班長の暴力行為について、原告と沼沢班長が小林則雄に謝罪文を提出することを内容とする要求書を提出した。原告は、同月一二日、被告補助参加人に対し、右ストライキが抜き打ちの不当なものであって、ストライキ権の濫用であるとの抗議文を交付した。

(三)  原告は、沼沢班長と小林則雄との右トラブルについて、保総務部長及び久納部長らにおいて、同月六日に沼沢班長から、同月一二日に小林則雄からそれぞれ事情聴取を行い、同年七月二九日、両名にそれぞれ警告書を交付した。沼沢班長に対する警告書には、「小林則雄君が職場で上司である貴方に対し、反抗的暴力的言動を行ったために、双方取っ組み合いを行ったものと認められます。貴方の行為は小林君の反抗的暴力的言動に起因するとはいえ、職場において職場秩序を保たなければならない上司である貴方が、右行為を行ったもので、非常に遺憾であります。会社としては、今後この種の事件の再発防止のため、双方に厳重注意することは勿論、敢えて貴方に対し『今後、職場秩序を保持し、この種事件を絶対に起こさないよう』警告しておきます。」と記載されていた。一方、小林則雄に対する警告書には、「貴方の沼沢班長に対する反抗的暴力的言動により、双方が取っ組み合いを行ったものであると認められます。会社としては、この種の事件が職場で発生したことについては、非常に遺憾であり、今後この種の事件の再発防止のため、双方に厳重注意することは勿論、敢えて貴方に『職場において上司に対する反抗的暴力的言動を行わないよう』警告しておきます。」と記載されていた。(〈証拠略〉)

12  技術部技術課班長近良明(大久保労組副書記長)(以下「近班長」という。)は、かねてから部下の佐々木広章(被告補助参加人執行副委員長)が被告補助参加人に加入したことに疑問を抱いていたため、「佐々木が抜けることによって、他の抜けたい人も抜けやすくなるんじゃないの。そういう人がいたら、一緒に辞めるように。」などと述べていたところ、同月八日、「脱退届を出すなら、勇気をもって出してこい。」と述べた。佐々木広章は、同日、被告補助参加人を脱退し、大久保労組に再加入した。(〈証拠略〉)

13  被告補助参加人は、同年八月一五日、原告を被申立人として、東京都地方労働委員会に対し、〈1〉原告は、被告補助参加人所属の組合員らに対し、被告補助参加人への加入を妨害し、被告補助参加人からの脱退を強要し、被告補助参加人組合員に対して暴力を振るうなどして被告補助参加人の組織運営に支配介入してはならないこと、〈2〉原告は、被告補助参加人が申し入れた団体交渉事項について団体交渉を拒否してはならず、また誠意をもって応じなければならないこと及び〈3〉謝罪文を掲示することを求めて救済申立てをした(都労委昭和六二年不第八〇号事件)が、東京都地方労働委員会は、平成二年三月六日付で別紙一のとおりの主文の初審命令を発した。

これに対して原告は、同年四月九日、初審命令を不服として、被告に対し、再審査申立てをした(中労委平成二年〈不再〉第三四号事件)が、被告は、平成五年二月三日付で、同再審査申立てを棄却する旨の別紙二のとおりの本件命令を発し、同命令書は、同月五日、原告に送達された。

二  争点

1  被告補助参加人結成当日の原告管理職らによる新労働組合への加入予定者に対する言動及びその後の原告管理職らによる被告補助参加人組合員に対する言動等が、労働組合法七条三号所定の不当労働行為(支配介入)に該当するか。

具体的には、

(一) 前記一の7の(一)ないし(九)記載の被告補助参加人結成当日における原告管理職らの新労働組合加入予定者に対する言動が、原告による被告補助参加人の結成に対する支配介入に当たるか。

(二) 前記一の11の(一)記載の沼沢班長と小林則雄とのトラブルに関し、原告が小林則雄に対して同(三)記載の警告書を発したことが、原告による被告補助参加人の運営に対する支配介入に当たるか。

(三) 原告が加藤誠(以下「加藤」という。)を雇い入れ、同人らに平井寮に入居していた被告補助参加人組合員を監視させたとの本件命令書第一の5の(1)記載の事実が認められるか。

(四) 實社長が加藤らと共謀して長崎に対する誣告事件を起こしたとの本件命令書第一の5の(1)記載の事実が認められるか。

(五) 實社長が篠田に対して本件命令書第一の5の(2)記載の言動をした事実が認められるか。

(六) 保夫専務が田中孝義に対して本件命令書第一の5の(3)記載の言動をした事実が認められるか。

(七) 前記一の12記載の近班長の佐々木広章に対する言動が、原告による被告補助参加人の運営に対する支配介入に当たるか。

2  原告と被告補助参加人との団体交渉における交渉事項の一つである「会社の不当労働行為」問題に関する原告の交渉態度が、労働組合法七条二号所定の不当労働行為(団体交渉拒否)に該当するか。

三  当事者の主張

(被告)

被告の認定事実及び判断は、別紙二の本件命令書記載のとおりであり、本件命令に誤りはない。

(原告)

1 被告補助参加人結成当日の言動等について

(一) 生産部門管理職の招集

原告は、昭和六二年五月二〇日、大久保労組の若手が脱退して新しい労働組合の結成大会に参加するという情報を得たため、保総務部長及び佐々木工場長において、生産部門の管理職を招集し、生産体制を確保すること、大久保労組組合員と脱退者とのトラブル防止に留意することを指示したもので、新しい労働組合の結成を妨害する意図はまったくなく、その旨の指示等は一切行わなかった。

また、原告が新労働組合の結成を好ましくないものとして、これを阻止ないし妨害する意図を有していたとすれば、原告は、生産部門の管理職のみではなく、全部門の管理職を招集してその旨の指示を与えたはずであるが、原告が実際に招集したのは生産部門の管理職のみであり、営業部及び購買課の各管理職、常務取締役屋上八郎らを招集しておらず、また、その指示の内容も前記のとおりであった。

さらに、右指示は、会議室の中で、集まった管理職のうち二名位が椅子に座り、その余の管理職は立ったまま話を聞いているという状態でなされ、その時間も全部で八ないし一〇分程度であり、会議の体裁をなしたものですらなく、そのなかで新しい労働組合の結成を阻止・妨害するなどという重大な対策を指示することなどありえない状況であった。

(二) 新労働組合への加入予定者に対する言動

(1) 芳賀課長代理の阿部第に対する言動

芳賀課長代理の発言は、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(2) 川畑課長代理の佐藤千緒美に対する言動

川畑課長代理の発言は、大久保労組の元役員としての立場で、大久保労組の組合員で、かつ入社以来一貫して川畑課長代理のもとで勤務してきた佐藤のためを思って、個人的になされたものであって、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(3) 川畑課長代理の中村進に対する言動

川畑課長代理の発言は、大久保労組の元役員としての立場で、その執行部時代に長期間代議員を務めていた中村に対し、個人的になされたものであって、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(4) 北岸課長代理の小林良巳に対する言動

北岸課長代理の発言は、同人が大久保労組の発起人三名のうちの一名で、大久保労組結成時から昭和五一年までの書記長であったこと、大久保労組を離れた後も大久保労組のことを心配してきたこと、昭和五〇年一二月に東部労組支部の前身である大久保製壜所検査課労働組合が大久保労組から脱退・結成された際、非常につらい思いをしたこと、そのような思いを大久保労組の組合員にさせたくないと考えたことから、大久保労組の元役員としての立場で、大久保労組やその組合員のためを思って、個人的にしたものであって、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(5) 久納部長の小林誠に対する言動

久納部長は、小林誠に対し、新しい労働組合への加入を妨害・阻止するような言動はまったく行わなかったし、その発言は、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(6) 久納部長の金子義春に対する言動

久納部長は、金子に対し、新しい組合への加入を妨害・阻止するような言動はまったく行っていない。その発言は、同人らの親しい関係から職務上の立場とは無関係に個人的になされたものであり、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(7) 石川課長代理の佐々木広章に対する言動

石川課長代理の佐々木広章に対する発言は、新しい労働組合の結成とはなんら関係がないし、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(8) 柴田課長代理の小山廣次に対する言動

柴田課長代理は、昭和六二年五月二〇日に若い従業員たちが新しい労働組合を結成するという噂を聞き、苦労して連れてきた新入社員たちが組合同士の引っ張り合いに巻き込まれて嫌気がさして辞めてしまうと困ると思っていたところ、一部勤務を終えた小山がたまたま事務所の前を通りかかったので、呼び止めて話をしたもので、新しい労働組合への加入を妨害・阻止しようとするような発言はまったく行っていない。そして、その発言は、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

(9) 川畑課長代理の秋元源造に対する言動

川畑課長代理の発言は、大久保労組執行部時代に代議員としてよく協力してくれた秋元について、できれば大久保労組に残って欲しいという気持ちを強く持っていたからであり、大久保労組の元役員としての立場で、大久保労組のためを思って個人的になされたものであって、原告の指示によるものではなく、原告の意を体してなされたものでもないから、原告による支配介入には該当しない。

2 被告補助参加人結成後の言動等について

(一) 小林則雄に対する警告書

昭和六二年六月五日に発生した沼沢班長と小林則雄とのトラブルに関し、原告が小林則雄に警告書を発したことは正当な処分であり、これが支配介入に当たるとの本件命令の判断は誤りである。

小林則雄は、日ごろから組長や課長らに対する非常に反抗的な言動が目立ち、勤務振りも悪かったところ、沼沢班長とのトラブルも小林則雄の反抗的・暴力的言動に起因するものであったのであるから、双方に対して警告書を発したものの、むしろ小林則雄の責任の方が重いものである。

(二) 寮管理人補佐

原告は、加藤を雇い入れたものではなく、同人らに平井寮に入居していた被告補助参加人組合員を監視させたものでもない。

平井寮においては、一階から四階までの各階ごとに、原告の従業員が家族とともに住み込んで寮管理人を勤めていたが、昭和六二年六月ころには、一階に住んでいた高橋久二夫だけが寮管理人として残り、人手が足りずに寮管理人としての仕事をこなし切れなかった。そこで、原告は、加藤に対し、寮管理人として適当な者がいれば紹介して欲しい旨依頼したところ、伊豆大島に住居のあった同人は、平井寮に寝泊まりしながら寮管理人を捜し、高橋、鈴木及び金子を順次紹介したため、原告は、同人らに給与を支払い寮管理人とした。他方、加藤は、平井寮に寝泊まりしていたため、便宜上、寮管理人補佐と呼ばれていたが、管理人補佐としての仕事はほとんどせず、不動産仲介の仕事を行っており、原告も同人に対して給与を支払うことはなかった。

(三) 誣告事件

實社長は、長崎の解雇を画策したことはないし、加藤らと共謀して誣告事件を引き起こしたこともない。

(四) 實社長の篠田に対する言動

實社長は、つねづね社員寮、工場、倉庫等を自ら点検し、修繕等を指示しており、平井寮についても、工事の点検に行き、その際、寮にいた若い従業員に「おい、頑張っているか、遅刻しないでまじめにやっているか。」などと声をかけたことはあるが、篠田に対し、「ストライキをやる仲間(東部労組支部)と仲よくするより、会社と友好的にやった方がいい。」、「ストをやる仲間をつくらなくても、君たちの要求どおりにするから、(元の組合に戻ったら)どうか。」などと述べたことはない。そもそも、實社長は、寮に入居する従業員の顔と名前が一致しておらず、篠田といわれても、その顔が分からないのが実状であり、篠田を被告補助参加人執行委員長と知って話をすることなどあり得ないことであった。

(五) 保夫専務の田中孝義に対する言動

保夫専務は、溶解課の田中孝義に対し、責任をもってしっかり仕事をするように注意をしただけであり、「新労組に入れば査定する。」とか「新労組に入れば配転を考える。」というような発言をしたことはない。

本件命令は、保夫専務の右発言の時期を「同年(昭和六二年)七月七日ころまでに」と曖昧にしているが、これは田中が同月四日に脱退届を被告補助参加人に提出済みであること、一方で、被告補助参加人が右発言の日を同月七日であると明確に主張していることとの矛盾を糊塗しようとしたものである。また、本件命令が認定した右発言は、初審命令の「新労組に入っていればボーナスで(低く)査定する。」、「配転を考える。」という認定とは明らかに趣旨が異なっているばかりか、田中が被告補助参加人に未だ加入していないという誤った前提に立っており、本件命令の右認定の誤りは明白である。

(六) 近班長の佐々木広章に対する言動

近班長の佐々木広章に対する言動は、原告とはまったく無関係であるから、原告による支配介入には当たらない。

近班長は、佐々木広章と個人的に親しく、被告補助参加人を脱退するか否かを迷っていた同人に従前から相談されていたが、大久保労組の執行委員で副書記であった立場から、同人が大久保労組に戻ってくることを希望し、迷っていた同人に勇気を出させる趣旨で、話をしたものである。ちなみに、近班長は、同年五月二〇日の生産部門の管理職招集の対象者でもなく、原告からこの件に関してなんらの働きかけもなされていない。

3 団体交渉について

原告は、被告補助参加人の主張する「会社の不当労働行為」問題について、昭和六二年五月二六日、同年六月二日、同月一六日及び同年七月二八日に被告補助参加人と団体交渉を行い、その中で被告補助参加人が主張した事実関係について十分な調査を行い、その調査によれば不当労働行為に該当することはない旨を明確に回答してきたものであり、その調査内容について更に詳しいやり取りがなされなかったのは、原告が拒んだのではなく、被告補助参加人の聞く耳を持たない態度、対応に起因するものであるから、原告の態度が不誠実であると非難されるいわれはなく、原告の態度はなんら不当労働行為に該当しない。

また、そもそも労使間で交渉議題とされなくなってから長期間を経過した問題について、本件命令の段階において救済命令を発することは無意味であり、救済利益も存しない。

(被告補助参加人)

1 被告補助参加人結成当日の管理職らの言動等について

(一) 原告の指示が人員不足による危険の防止のためであるというのは、事実に反する。

製壜課の現場は、三部交替で勤務を行っているが、被告補助参加人結成大会への参加により人員不足の問題が起こるとすれば、二部及び三部勤務の従業員について問題となるに過ぎない。しかし、二部勤務の従業員については、事前に有給休暇をとった者しか結成大会に参加できないのは歴然としているし、三部の従業員はまだ出勤していないため、なんらの措置も講じられないのである。結局、管理職らが働きかけたのは、結成大会に参加できる一部又は日勤勤務の従業員たちがほとんどであった。この事実だけをみても、原告の指示が業務運営などとは関係なく、被告補助参加人結成大会への参加妨害にあったことは明らかである。

(二) 原告は、元大久保労組組合員の管理職らを指示・利用して、被告補助参加人への参加を防止するよう働きかけさせたというべきである。

会社の管理職の立場にある者が、一定の組合の立場に立つ、あるいは一定の組合を批判するなどの発言を従業員に対して行った場合は、その過去の立場や個人的感情の有無は捨象し、一律、会社の行為として評価されるべきである。そうでなければ、複数組合が存在するなかで、会社の意を受けた一方組合の出身者が他方組合に組織介入しても、個人的な行為であると弁明すれば、会社の不当労働行為は成立しないということになってしまい、極めて不当な結論となるからである。

2 被告補助参加人結成後の管理職らの言動等について

被告補助参加人結成直後から實社長が被告補助参加人組合員を大久保労組に復帰させるべきことなどを指示し、その壊滅を図ったことは明白であり、原告の不当労働行為意思は明らかである。

第三争点に対する判断

一  被告補助参加人結成当日の原告管理職らの言動等について

1  前記「前提となる事実」及び次の各項末尾掲記の証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 實社長は、かねてから、昭和六二年に六〇歳となるのを機会に社長の地位を保総務部長に譲りたいと考えていたが、東部労組支部と原告との間に多くの労使紛争が発生し、厳しい対立に心労を費やし続けてきた(〈証拠略〉)。

(二) 實社長は、同年四月下旬から糖尿病で入院していたが、原告の経営陣はほとんどが實社長の親族で固められており、労働組合対策等の労務管理を含む会社業務全般について権限を有し、入院中でも連絡を受けながらワンマン的活動をすることができる状況にあった(〈証拠略〉)。

2  原告は、昭和六二年五月二〇日、大久保労組の若手が脱退して新しい労働組合の結成大会に参加するという情報を得たため、保総務部長及び佐々木工場長において、生産部門の管理職を招集して生産体制を確保すること、大久保労組組合員と脱退者とのトラブル防止に留意することを指示したもので、新しい労働組合の結成を妨害する意図はまったくなく、その旨の指示等は一切行わなかったと主張し、(証拠・人証略)にはこれに沿った部分がある。しかし、原告の主張は採用することができない。その理由は以下のとおりである。

(一) 中央労働委員会の審問において、(人証略)は「当日招集された管理職に話をしたのは保総務部長だけで、これに対して集まった管理職から質問や意見は出なかった。」と証言し(〈証拠略〉人証略)も佐々木工場長が話をしたり、その場で質問が出たことについてまったく証言していない(〈証拠略〉)にもかかわらず、同人らは、当裁判所においては、「保総務部長の話に引き続き、佐々木工場長からも話があった。その後、川畑課長代理が工場長に対し、人員不足の対応について質問をした。」と証言するなど、時間がかなり経過した時点の方が証言内容がむしろ具体的かつ鮮明であるということ自体いささか不自然であるうえ、それぞれ自らの発言、質問であるのに、労働委員会ではそれについてなんら述べていないこと、当裁判所で新たに付加された証言内容の重要性等に鑑みると、労働委員会の審問では単に言い忘れたなどという性格のものとは認められず、そもそも右証言部分の信用性には疑問があるといわざるを得ない。

(二) また、生産体制の確保、すなわち人員確保も、いつの時点までのことを意味するのか必ずしも明確でないうえ、仮に当日の新労組結成大会により見込まれる人員不足の手配であるならば、管理職らの言動は、原告が人員確保を必要とする二部、三部勤務の従業員に対してなされるべきであると思われるが、現実には、前記認定のとおり、会議の行われていた当時出勤していた一部勤務の従業員及び日勤の従業員に対してほとんどなされたこと、招集された管理職には、生産部門の管理職のみでなく、総務部門の総務課長及び人事課課長代理も含まれていたことからしても、右証言部分はたやすく信用できない。

(三) さらに、大久保労組組合員と脱退者とのトラブル防止にあったとの点も、原告がそのトラブル防止に配慮した具体的行動をとったことを認めるに足りる証拠がないうえ、前記に認定した管理職らの新労働組合加入予定者に対する言動に照らすと、トラブル防止を目的とした言動とは認められない。

(四) 結局、前記認定事実、とりわけ会議が終了すると、その会議に出席した管理職らが一斉に、しかも極めて近接した時間帯に、前記昭和六二年五月一四日付要望書に署名して新労働組合に加入することが予想される従業員に対し、一様に新労働組合結成大会への参加あるいは同労働組合への加入を牽制する言動に及んだことに鑑みると、当日の管理職会議は、新労組結成、加入に対する抑止を明示又は少なくとも黙示に指示したものと推認することができる。

3  原告は、昭和六二年五月二〇日の管理職らの前記言動は、ある者については元大久保労組役員としての立場でなされた個人的なものであり、また、ある者については純粋に個人的関係からのものであって、いずれにしても原告の指示によるものではなく、会社の意を体してなされたものでもないと主張するので判断する。

(一) (人証略)は、例えば、中村進に対して前記言動をした理由について、「大久保労組の元役員として、石川課長代理が大久保労組を辞めて非常に心配していたところ、さらにまた中村が新しい労働組合に行くとなると非常に困るし、また、検査課の大久保労組組合員もまとめてもらっていたので、なんとか大久保労組に残ってもらいたいという気持ちがあった。」旨証言する。また、(証拠略)によれば、久納部長と金子義春とは、被告補助参加人結成時まで個人的に親しい間柄にあり、よく一緒に酒を飲んだり、久納部長が金子の家庭的な問題に相談にのるなどということがあったこと、柴田課長代理は、高等学校を卒業した小山廣次を採用する際の責任者で、入社前研修及び社内研修を通じて研修の事務局を担当し、小山と接していたことが認められる。

(二) しかし、前記発言をした者はいずれも部長、課長代理といった管理職であり、これらの者は部下の従業員に対し業務上の指揮・監督の権限を有し、人事・労務に関する権限その他広範囲な職制上の権限を有する地位にあるところ、前記認定事実によれば、右発言は、管理職会議後の極めて近接した時間帯に一斉になされ、しかも、その相手方がいずれも昭和六二年五月一四日付要望書に署名した大久保労組の組合員であったこと、右署名者には東部労組支部組合員も含まれていたこと、発言の内容は、新労働組合の結成大会出席の有無を尋ね、何人かに対してはさらに明示的にこれを牽制するものであったこと、発言がなされた時間も結成大会直前であったことなど、発言の相手方、内容、時期等に照らすと、原告は、かねてから大久保労組との労使関係はほぼ良好であった一方、対立関係にある東部労組支部を嫌悪していたところ、大久保労組組合員の一部が脱退して新たに結成する労働組合が東部労組支部と関係があることを予想することができたため、これを牽制し、大久保労組に遺(ママ)留させる意図で、管理職に明示又は黙示の指示をして前記言動をさせたものであると認めることができ、また、前記管理職会議に出席していなかった北岸課長代理については、原告の直接の指示によるものではないとしても、東部労組支部と関係のある新労働組合が結成されることを好ましくないものと認識し、原告の意を体して前記言動をしたものと推認することができるから、たとえ前記のような関係が管理職と相手方との間に認められるにせよ、同管理職らの職制上の地位・権限とまったく関係のない純粋な個人的関係による言動とは到底認められない。

よって、原告の主張は採用できない。

4  前記「前提となる事実」及び右1ないし3によれば、原告の實社長をはじめとする経営陣は、かねてから東部労組支部との間で労使紛争が絶えず、その対応に苦慮して東部労組支部を嫌悪していたが、大久保労組組合員の一部がこれを脱退して新たな労働組合を結成することを聞くに及び、大久保労組に所属する従業員のうち、昭和六二年五月一四日付要望書に署名した者らが東部労組支部と関係のある新労働組合を結成するであろうことを予想し、その結成を好ましくないものと考えていたものであるということができるところ、被告補助参加人結成当日の管理職らによる新労働組合加入予定者に対する言動は、このような状況のもとにおいては、いずれも新労働組合結成大会への参加あるいは新労働組合への加入を見合わせるよう牽制する趣旨の発言とみるほかないのであるから、被告補助参加人の結成に支配介入したものというべきである。

二  被告補助参加人結成後の原告管理職らの言動等について

1  前記「前提となる事実」及び次の各項末尾掲記の証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 實社長は、入院中の昭和六二年五月二〇日、新労働組合結成の報告を受け、直ちに病院から一時帰宅し、同日夜、自宅に役員らを招集し、その対応策を協議した(〈証拠略〉)。

(二) 實社長は、六〇歳を過ぎたため社長の地位を長男の保総務部長に譲り、原告の経営を引き継がなければならないものと考えていたが、それには、新労働組合のない状態である必要があると判断し、被告補助参加人組合員の多くが入居する平井寮の監視を強化するとともに、被告補助参加人組合員を大久保労組に復帰させるだけでなく、東部労組支部及び被告補助参加人の中心的な活動家である長崎を原告から追放しなければならないと考えるようになった(〈証拠略〉)。

2  ところで、原告は、沼沢班長と小林則雄とのトラブルに関し、小林則雄は、日ごろから組長や課長等に対する非常に反抗的な言動が目立ち、勤務振りも悪かったところ、沼沢班長とのトラブルも小林則雄の反抗的・暴力的言動に起因するもので、むしろ小林則雄の責任の方が重いのであるから、原告が小林則雄に警告書を発したことは正当な処分であり、支配介入には当たらないと主張するので判断する。

(一) 前記「前提となる事実」のとおり、右トラブルの発端は、その前日から不調の三号機担当の沼沢班長が同機を離れている間に同機が故障し、二号機を担当していた小林則雄が三号機担当助手の求めに応じて右三号機の修理を手伝っていたところに、上半身裸の沼沢班長がロツカー室から降りてきたので、小林則雄が沼沢班長に対し、「何やっていたんだ。」と述べたことにある。確かに、小林則雄の発言が上司に対するものとしてはぞんざいであることは否定できないが、小林則雄が日ごろから組長や課長等に対する非常に反抗的な言動が目立ち、勤務振りも悪かったことを認めるに足りる的確な証拠はないし、また、前日から不調で注意をしていなくてはならなかった三号機の担当で、しかも勤務時間中であった沼沢班長が、入浴・着替えためその場を離れ、上半身裸で現れたうえ、本来三号機の担当ではないのに応援依頼に応じて修理を手伝っていた小林則雄の些細な言辞に立腹し、同人の胸倉をつかみ、顔面を殴ったことを考慮すると、トラブルの責任はむしろ沼沢班長の方が重いと認められる。ところが、原告は、トラブルの原因を小林則雄が沼沢班長に対して反抗的暴力的言動を行ったためであると認定する警告書を発したもので、この認定は、トラブルの経緯及び沼沢班長の暴力行為に目を覆った一方的かつ形式的な見方であるといわざるを得ない。

(二) 加えて、小林則雄は、被告補助参加人の執行副委員長であったこと、被告補助参加人が右トラブルの翌日に右暴力行為に抗議してストライキを行うとともに、原告と沼沢班長に謝罪文を提出するよう求めると、原告は、右ストライキがストライキ権の濫用であるとして、これに抗議したこと、原告は、沼沢班長からは右トラブルの翌日には事情聴取をしたのに、殴られて打撲を受けた小林則雄からはその約一週間後になって事情聴取を行ったことなどの前記認定事実を総合すると、原告が小林則雄に前記警告書を発したことは、偶発的に発生した本件トラブルをもとに、被告補助参加人の執行副委員長に警告を与えることにより、被告補助参加人に動揺を与え、もってその弱体化を意図したものと認められるから、前記認定のその他の原告の言動等と総合的にみれば、被告補助参加人の運営に対する支配介入であると評価することができるというべきである。

よって、原告の主張は採用できない。

3  また、原告は、加藤を雇い入れたものではなく、同人らに平井寮に入居していた被告補助参加人組合員を監視させたものでもないと主張し、(人証略)は、「平井寮においては、以前は一階から四階までの各階ごとに寮管理人がいたが、昭和六二年六月ころには、一階に住んでいた高橋久二夫だけが寮管理人として残り、人手が足りずに寮管理人としての仕事をこなし切れなかったため、加藤に頼んで鈴木らを寮管理人として紹介してもらっただけである。」旨証言する。

(一) しかし、それまで各階にいた寮管理人が右高橋だけになったという事態は、昭和六二年六月ころ突如起こったものではなく、それより数年前に既に生じており(〈人証略〉)、昭和六二年六月になって急に誰かを寮管理人として補充しなくてはならなかった特別の事情は認められないから、(人証略)の前記証言は信用できない。

(二) そして、加藤が平井寮に寝泊まりするようになったのは、被告補助参加人が結成されて間もなくのことであること及び右平井寮には被告補助参加人組合員の多くが入居していたこと(〈証拠略〉)、加藤は、後記のとおり、その後長崎に対する誣告及び覚せい剤取締法違反の事件を主導的に起こしたこと、加藤は、右事件前にも平井寮に入居する被告補助参加人組合員を大久保労組に復帰させるべく、同入居者の一部を飲食に誘うなど様々な脱退工作をしたこと(〈証拠略〉)、實社長は、加藤に対し給料を支払っていたほか、右入居者に対する飲食等の懐柔資金も支払っていたこと(〈証拠略〉)などの諸事情に鑑みると、原告は、被告補助参加人組合員の多くが入居していた従業員寮の平井寮の監視を強めるために、同年六月初めころから、平井寮の寮監補佐として實社長の知人である加藤を採用し、同人から三名の寮管理人を紹介してもらい、同人らを寝泊まりさせたうえ、組合員の被告補助参加人からの脱退を目的として、加藤らを雇い入れたものと認められる。

よって、原告の主張は採用できない。

4  次に、原告は、實社長は、長崎の解雇を画策し、加藤らと共謀して誣告事件を引き起こしたこともないと主張するが、前記二の1の(一)(二)の事実及び(証拠略)によれば、被告補助参加人組合員らが、組合結成時から関与し特別執行委員として中心的に活動する長崎の指導・影響を強く受けていたことから、實社長は、長崎を解雇し、ひいては被告補助参加人を弱体化することを画策し、加藤らと共謀のうえ、長崎をして刑事処分を受けさせる目的で、昭和六二年一一月五日夜、長崎所有の自動二輪車の座席下部に覚せい剤を隠匿し、警察に同人が覚せい剤を所持しているとの虚偽の申告をすることにより、同人を現行犯逮捕させた結果、同人は、三日間身柄を拘束されることとなったこと、加藤は、長崎に対する誣告罪及び覚せい剤取締法違反の被疑事実で同月二五日に逮捕され、昭和六三年六月二日、東京地方裁判所において懲役二年の実刑判決を言い渡されたこと、また、實社長も長崎に対する誣告罪の被疑事実で逮捕、起訴され、平成元年二月八日、東京地方裁判所において懲役二年の実刑判決を言い渡されたこと、實社長は、同判決に対して控訴したが、控訴を取り下げたため、右判決が確定したことが認められるところ、(証拠略)(供述調書)の信用性を疑わせるに足りる事情はなんら認められない。

よって、原告の主張は採用できない。

5  原告は、實社長が篠田の顔を知らないので同人を被告補助参加人執行委員長として話をすることはないと主張するが、實社長が被告補助参加人執行委員長として活発に活動していた篠田の顔を知らなかったものとは容易に考えられないところ、(証拠略)によれば、實社長は、昭和六二年六月二〇日午後一時ころ、平井寮を訪れ、篠田に対し、「おい、頑張っているか、遅刻しないでまじめにやっているか。」、「ストライキをやる仲間と仲よくするより、会社と友好的にやった方がいい。」、「ストをやる仲間をつくらなくても、君たちの要求どおりにするから、どうか。」などと述べたことが認められる。

よって、原告の主張は採用できない。

6  さらに、原告は、本件命令が、保夫専務の田中孝義に対する発言の時期を「同年七月七日ころまでに」と曖昧にしているが、これは右田中が同月四日に脱退届を被告補助参加人に提出済みであること、一方で、被告補助参加人が右発言の日を同月七日であると明確に主張していることとの矛盾を糊塗しようとしたものであって、誤りであり、保夫専務は田中に対して「新労組に入れば査定する。」、「新労組に入れば配転を考える。」などと述べたことはないと主張する。

しかし、田中が提出した脱退届は同月四日付となってはいるものの、本件全証拠によってもそれが被告補助参加人にいつ提出されたか必ずしも明らかではないし、また、仮に右脱退届が同日に被告補助参加人に提出され、同日から同月七日までの間に保夫専務が田中に対して発言をしたとしても、田中の被告補助参加人脱退を認識しないまま発言をした可能性も大いに考えられるところであるから、保夫専務の田中に対する右発言の日を特定することは困難ではあるが、(証拠略)によれば、保夫専務は、同月七日ころまでに、工場内を巡回中に溶解課に立ち寄り、同課の田中孝義に対し、「新労組に入っていれば査定する。」、「新労組に入っていれば配転を考える。」などと述べたことが認められる。

よって、原告の主張は採用できない。

7  また、原告は、近班長の佐々木広章に対する発言は、近班長が大久保労組の副書記長であった立場から、佐々木広章が大久保労組に戻ってくることを希望し、被告補助参加人を脱退するか否か迷っていた佐々木広章に勇気を出させる趣旨でしたものであって、原告とはまったく無関係であるから、原告による支配介入には当たらないと主張するので検討する。

確かに、近班長が昭和六二年五月二〇日の管理職会議に出席していなかったこと及び同人が大久保労組副書記長であったことは前記認定のとおりであるが、近班長は技術部技術課班長で、佐々木広章の上司に当たること、近班長はかねてから佐々木広章に対し、「佐々木が抜けることによって、他の抜けたい人も抜けやすくなるんじゃないの。そういう人がいたら、一緒に辞めるように。」などと述べており、発言の時期・内容ともに前記管理職らによる被告補助参加人組合員に対する発言と軸を一にするものであること、近班長は、大久保労組副書記長であったが、原告と大久保労組との労使関係がほぼ良好であったのに対して、原告は被告補助参加人結成当初からこれを好ましくないものとしてその弱体化及び被告補助参加人組合員の大久保労組への復帰を画策していたことなどの前記事実に鑑みると、右発言が単に大久保労組役員としての立場からなされたものであると捉えるのは妥当ではなく、原告の意を受けた職制による被告補助参加人からの脱退を勧奨、強要する旨の発言と認めるのが相当である。

よって、原告の主張は採用できない。

8  以上によれば、被告補助参加人結成後の原告の管理職らの言動、すなわち被告補助参加人執行副委員長小林則雄に対する警告書の交付、被告補助参加人組合員の多くが入居する平井寮に対する監視の強化、實社長の被告補助参加人執行委員長篠田に対する言動、保夫専務の田中孝義に対する言動、近班長の被告補助参加人執行副委員長佐々木広章に対する言動、實社長らの被告補助参加人特別執行委員長崎に対する誣告事件は、全体的にみて被告補助参加人を弱体化ないし壊滅させることを意図してその運営に支配介入したものであることは明らかであるというべきである。

よって、原告の右行為は、労働組合法七条三号所定の支配介入に該当する。

三  団体交渉について

1  前記「前提となる事実」、(証拠略)及び次の各項末尾掲記の証拠によれば、被告補助参加人の主張する「会社の不当労働行為」問題に関する原告と被告補助参加人との団体交渉の経過について、以下の事実が認められる。

(一) 第一回団体交渉(昭和六二年五月二六日午後二時から午後三時まで)

議題は、〈1〉団体交渉に関するルール、〈2〉「会社の不当労働行為」問題、〈3〉管理者養成学校(富士宮研修)であった。議題〈2〉について、まず被告補助参加人が「不当労働行為について答えてもらいたい。」と問い質したところ、原告は、「組合の認識がどういうものであるか分からないが、不当労働行為とは法律用語で、組合の言っていることがあったにしても、見解を異にすれば争いになる。第三者機関でどう判断するかということである。」と述べた。そして、被告補助参加人は、被告補助参加人結成当日の川畑課長代理、石川課長代理ら管理職による被告補助参加人加入予定の従業員等に対する言動は、原告の指示によるとしか考えられないなどと激しく反発し、原告にその事実の確認と謝罪文を要求した。しかし、原告は、被告補助参加人の右主張を否定する態度を示し、「会社がやったと決めつけないでもらいたい。組合は不当労働行為と言っているが、会社が何をやったと言うのか。川畑や石川が佐藤や佐々木にしたことについては、会社としては分からない。この問題で時間がかかるようであれば、管理者養成学校の件を進めてもよいがどうですか。」などと述べたが、最終的には検討したいと回答した。(〈証拠略〉)

(二) 第二回団体交渉(昭和六二年六月二日午後三時三〇分から午後四時三〇分まで)

議題は、第一回団体交渉のときと同じ三項目であった。「会社の不当労働行為」問題について、原告は、被告補助参加人に対し、「会社としては、調査の結果、皆さんが指摘されたような事実はないということです。不当労働行為については、組合と会社との間で意見の相違があれば、都労委という認定機関があり、そこで認定することになる。」と答えた。これに対して、被告補助参加人は、なおも「管理職がいろいろやったが、それについてはどうか。」、「石川さんに聞いたか。」などと質したが、原告は、「会社としては調査した。」、「会社としては不当労働行為にかかわることは一切なかったということである。」と答えた。被告補助参加人は、「これではいくら話し合っても無駄だ。決裂だ。」と述べ、双方の主張は平行線をたどった。(〈証拠略〉)

(三) 第三回団体交渉(昭和六二年六月一六日午前一〇時から午前一一時まで)

議題は、〈1〉「会社の不当労働行為」問題、〈2〉諸要求、〈3〉団体交渉ルールであった。議題〈1〉について、被告補助参加人は、原告に対し、再度、「不当労働行為については、石川、川畑さんに聞いたのか。」と質したところ、原告は、「会社は詳しくかどうかは別として調査した。その結果、組合が指摘しているような事実はなかったということである。また、組合は、会社が指示してやらせたということであるが、会社は一切指示していない。」と従来と同旨の回答を繰り返した。また、被告補助参加人が「謝罪要求書」を読みあげたところ、原告は、「今、聞いたばかりであり、正式には組合から文書で提出があれば、会社としても文書でお答えしたい。会社として謝罪の意思のないことだけは表明しておく。ただ、おどし、すかし等と組合は言っているが、会社の調査の結果はそういうことは出てこない。不当労働行為とおぼしきことがあったとすれば、会社の職制としては注意しなければいけないと思っている。」と述べた。(〈証拠略〉)

(四) 第四回団体交渉(昭和六二年七月三日午前一〇時から午前一一時まで)

議題は、〈1〉団体交渉ルール、〈2〉沼沢班長の暴力行為、〈3〉諸要求、〈4〉「会社の不当労働行為」問題であったが、〈1〉及び〈2〉についての議題等に時間をとられ、議題〈4〉については、時間切れで交渉に入れなかった(〈証拠略〉)。

(五) 第五回団体交渉(昭和六二年七月二八日午前一〇時三〇分から午前一一時三〇分まで)

議題は、〈1〉「会社の不当労働行為」問題、〈2〉団体交渉ルールであった。議題〈1〉について、被告補助参加人は、冒頭で「会社の不当労働行為の撤回と謝罪の要求書」を読みあげた後、「五月二〇日の久納部長がやったことに関して答えていただきたい。」と尋ねたところ、保総務部長は、「久納部長にお答えしてもらいますが、会社としては五月二〇日の問題については、調査した結果をすでに組合に話をしています。個々に調査をした結果、その事実がないということを申しあげています。では久納部長どうぞ。」と前置きをした。続いて、被告補助参加人の金子義春執行副委員長は、同席していた久納部長に対し、「被告補助参加人結成当日の午後四時ころ、『これは噂だけど、組合ができるらしいが、できたらどうするのか。』と同部長に聞かれたので、金子義春が『入りますよ。』と答えた事実があったかどうか。」を質したところ、同部長は、「そのとおりですね。ただ、私は、組合に入るとか、入ってはいけないとか言うわけがない。」と答えた。これに対して、被告補助参加人は、「組合ができたら入るかどうか、と聞くことは不当労働行為ではないか。」と追及したところ、保総務部長は、「組合の『く』の字を使えば不当労働行為だということはない。」などと口をはさみ、久納部長の発言を引き取るような態度に出たため、右事実関係はそれ以上明らかにされなかった。さらに、被告補助参加人は、被告補助参加人結成以降の管理職らの言動を個別に追及したところ、原告は、川畑課長代理及び石川課長代理については被告補助参加人が指摘するような事実はないとの主張をすでに表明しているが、新たに被告補助参加人の指摘する事実については調査したいと答えた。また、被告補助参加人は、保夫専務が田中に対し、「新労組に入っていれば査定する。」、「新労組に入っていれば配転を考える。」と述べたことを追及したところ、原告は、調査したいと回答した。(〈証拠略〉)

(六) 第六回団体交渉(昭和六二年八月六日午後一時三〇分から午後二時三〇分まで)

議題は、〈1〉諸要求(配転・出向等)、〈2〉団体交渉ルールであり、「会社の不当労働行為」問題に触れることはなかった(〈証拠略〉)。

2  右認定事実によれば、被告補助参加人の主張する「会社の不当労働行為」問題に関する原告の団体交渉における態度は、被告補助参加人が右問題を取り上げるや、具体的説明に入ることなく、冒頭で、「組合の認識がどういうものであるか分からないが、不当労働行為とは法律用語で、組合の言っていることがあったにしても、見解を異にすれば争いになる。第三者機関でどう判断するかということである。」、「不当労働行為については、組合と会社との間で意見の相違があれば、都労委という認定機関があり、そこで認定することになる。」などと発言したことにうかがわれるとおり、そもそも原告と被告補助参加人との主張には食い違いがあるとの前提にたち、事実を自ら究明しようとする積極的姿勢に著しく欠けていたことが看取できるうえ、実際にも、調査の結果、組合が指摘しているような事実はなかったなどと全面的に否定するにとどまり、被告補助参加人がその調査の具体的説明を求めたにもかかわらず、結局、原告は、どのような調査を行ったのか極めて不十分な説明しかしなかったものといわざるを得ない。

原告は、調査内容について更に詳しいやり取りがなされなかったのは、原告が拒んだのではなく、被告補助参加人の聞く耳を持たない態度、対応に起因するものであるから、原告の態度が不誠実であると非難されるいわれはないと主張する。しかし、前記認定のとおり、この問題について原告と被告補助参加人との間で主張が平行線をたどり、噛み合わなかった原因は、むしろ原告が、被告補助参加人の要求にもかかわらず、調査の具体的説明をしようとせず、被告補助参加人を納得させる努力を怠ったことにあるのであり、被告補助参加人の態度が硬化したのはその結果であるというべきであるから、原告の右主張は採用できない。

なお、原告は、労使間で交渉議題とされなくなってから長期間を経過した問題について、本件命令の段階において救済命令を発することは無意味であり、救済利益も存しないと主張するが、本件命令は、原告の不誠実団交の対象となった原告の一連の行動が支配介入として不当労働行為に当たるとして、救済を与え、不誠実団交については、ポスト・ノーティスを命じているのであり、この救済措置が違法なものであるということはできないし、また、被告補助参加人の本件救済申立て後、原告が前記問題について誠実に団体交渉に応じたという事情、あるいは被告補助参加人が本件救済申立てを維持する意思を放棄するなど救済の必要性がなくなったとの事情は、本件全証拠によっても認められないから、単に原告・被告補助参加人間で交渉議題とされなくなってから長期間を経過したというだけでは、団体交渉拒否について前記救済の利益が消滅するものではないというべきである。したがって、原告の右主張は採用できない。

以上によれば、原告は、被告補助参加人が主張するような不当労働行為はしていないとの主張を堅持し、被告補助参加人から指摘された事実を誠実に究明する姿勢に欠けていたものといわざるを得ないのであって、誠意をもって被告補助参加人との団体交渉に応じたものということはできないし、また、このことに正当な理由があるものとも認められないというべきであるから、原告の右態度は労働組合法七条二号所定の団体交渉拒否に該当し、本件命令によって与えた救済措置に違法があるということはできない。

四  結論

よって、被告補助参加人結成当日以降の原告管理職らの言動等及び原告と被告補助参加人との団体交渉における「会社の不当労働行為」問題についての原告の態度が不当労働行為に該当するとした初審命令を維持した本件命令の認定及び判断には、原告の主張するような違法はないから、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 遠藤賢治 裁判官 飯塚宏 裁判官 佐々木直人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例